みなさんにはこのパンを見てもらいたい。
カニパンである。
この前初めて買ってみたものであるが、一言申し上げたい。
「こんな素敵なパンがこの世に存在していても良いのだろうか??」
フォルムの良さ、遊び心、美味さ、全てが揃っているこのパンは世界を侵略しかねないのではないか。
数年後には日本の米文化がカニ文化となり、渋沢栄一はカニにとって変わられ、さらには貨幣すらもカニパンへ。そしてカニパンは海を超えアメリカへ。ジャスティンビーバーあたりがインスタでカニパンを紹介、ピコ太郎ばりのカニパンブーム勃発。そして世界中でカニパンの需要過多により供給が追いつかず、人々はカニパンを巡って争い争い、社会は崩壊し、生活を維持できなくなった人類は文字通り自滅してしまいます。
人間を賢いと思っていたのは人間だけのようでした。こんな易しい環境下なのに、自らの首をしめて、存続しつづけられなかった、なんとも愚かな、いいえ、哀れな種族なのでしょう。
人類の消えた地球に残ったのは豊かな森に美しい海、清い川に雄大な山脈、生き物たちの自然な営み、そして発展した科学により自動生産し続けられるカニパン。
皮肉か預言か。描かれる世界は美しいじゃないか。
結局人類のいない世界にしか潜在的な美は存在しないのである。初めに美を捉えたのは人間であるというのに。
感染から逃れた地球はかつての輝きを取り戻しつつある。そして、乳酸菌の豊富なカニパンは地球の生き物たちに食べられ続け、生き物たちの腸内に輝きを灯している。
私もカニパンのようになれていたら、あの子を救うことができたのだろうか。
いや、やめよう。。
私は今を、生きているのだから。
カニパンをポーチに入れて、懐かしさの残るカニシェルターを後にしたのだった。。
私は行くねと君が言ったから、今日からこの日はカニパン記念日。
夕日が映す影。4本足でどこを目指しているのだろうね。
(終わり)
いつのまにか小説書いちゃってた。大手企業の編集者のみなさん、コメントお待ちしております。金稼げるんだったら私、ペン握ります。否が応でも。✒️
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