2本の柱

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映画批評:ボーはおそれている

こんにちは2本の柱です。

本日(2024/02/16)公開、アリアスター最新作「ボーはおそれている」(Beau Is Afraid)を見てきましたよ〜。初日、初回上映で見れたのは光栄ですね。

 

アリアスター監督と言えば、A24にて「ヘレディタリ継承」「ミッドサマー」を手がけた監督です。特に「ミッドサマー」はファンシーと狂気を織り交ぜたカルトホラーで、ストーリーや映像面でも高く評価されていました。

そして昨年初夏ごろに全米公開された「Beau Is Afraid」もかなり注目されていましたね。

しかし、予算の割に興行成績が良くなかったことも話題に上がったり上がらなかったり。。

 

◎記事の構成

①ネタバレ無し感想とおすすめ度

②あらすじ

③ネタバレ含考察

 

①感想とおすすめ度(ネタバレ無し)

早速、感想です。とりあえず一言で表すなら、

「はっきり言ってあんまりよくわからなかった。けど、見ていてとても不快さが伝わってくる映画だった。」

という感じ。

ただただ嫌な予感、嫌な感じ、嫌な人、裏がありそう、そんな雰囲気が続いています。さらに、自分じゃ何もできない軟弱なボーが良くない未来、良くない流れへと進んでいく様子を眺めるのがとても不快でしたね。ただこの不快というのは貶しているのではなく、アリアスターが作った狙い通りの不快さを体感したということです。視聴者の不安感を煽るようなシーン、裏事情が見え隠れする不穏なシーンがサブリミナル的に挟まれており、不快ゲージが溜まります。そこに映像の不気味さが相まって不快解放です。不快にさせるうえで、とてもうまく作られている映画だったと思います

 

しかしヘレディタリやミッドサマーと比べるとやや見劣りするかな、というのも正直なところです。

インパクトがあるシーンが少なく淡々と物語が進んでいき、ストーリーも文学的で難解。

多分ここを覗く人は見に行こうか行かないか迷ってる人も多いと思うので、それについても言及すると、オススメ度は中の上くらい

「ヘレディタリ」、「ミッドサマー」が好きならば観に行くべきですが、2つがあまり刺さってないと尺が3時間あることからも、ちょっと見てられないな、、となるかもしれません。。

 

②あらすじ

臆病者のボーは明日、実家へ帰って母親に会う予定だったのですが、夜上手く寝付けず寝坊してしまい、飛行機の時間ギリギリに起きてしまいます。さらに家から出ようとしたら鍵と荷物を盗まれてしまい、飛行機も逃してしまうのでした。

今日は帰れないこと、そして次の日の飛行機を取ること、を伝えるため母親に電話したのですが、母親は大変がっかりしてしまいます。。

翌日、色々あったため再び母親に電話をかけると見知らぬ男が電話に出ます。

その男性は郵便配達員。なんと目の前に、落ちてきたシャンデリアに顔を潰されて死んでいる女性の遺体があるというのです。IDからも遺体が母親であることが確定します。ボーはパニックになり、周りの世界もおかしくなってしまうのでした。。

The Movie Database|Beau Is Afraid (2023) — The Movie Database (TMDB) (themoviedb.org)より引用

(以下よりネタバレゾーンに入ります!!見てない人注意!!)

(ストーリー解説も書こうとしたのですが、内容が多すぎたので諦めました。。)

↓ 

③考察

私はこの映画の1番大きな主題は毒親だと感じました。

 

映画を見たらわかりますが、ボーが家に帰ろうと思うと「ボーが起こったら嫌だなと思うこと」が全て現実となって押し寄せています。これは暗にボーの本能が帰りたくない一心で見せていた妄想の世界だったのではないのでしょうか。

本能というのがポイントです。母が帰って来いと言うから、弁護士が葬式に来いというから、帰らなければいけない。そんな義務感から行動をしますが、本当は微塵も帰りたいと思っていない、そんな心の奥底の思いが幻覚や妄想としてボーの前に表れた可能性が高いです。

このように、ボーは自分の意思を潜在的に消す癖があることが映画から読み取れます。他人に決めてもらわないと何もできない人間になってしまっているんですね。

では何故ボーはこのような人間性となってしまったのでしょうか。

これは母親のせいであることが伺えます。

ボー自身が「母親はボーが望んでいること以外のことをすると不機嫌になる」というような内容の言及をしていることから、息子が自分の思い通りになるようにコントロールするタイプの毒親であることがわかります。

このような親のもとで育つと、自分のやりたいこと(意思)に全て嫌な顔をされてしまう→自分の意思に自信がなくなる→自分の意思をもたないほうが良いとなってしまいます。だから自分の意見を持つことができない軟弱な人間になってしまったのでしょう。

お風呂場の夢が良い例で、母は聞いて欲しくない父親のことを聞かれたときにボーを屋根裏へ閉じ込めていたのです。母親はボーに父親のことを詮索してはならないとコントロールしているのです。

 

加えて、母親が度々言っていた「私が最大限の愛を与えているのに、あなたはそれに応えてくれない」という趣旨の発言から、この母親が愛に対価を求める毒親であることがわかります。

ボーが自分に自信がないのもこの影響なのでしょう。母親が与えてくれるものに応えられる能力がない自分ということをひどく体感させられてしまったのでしょうね。可哀想に。

グレイスの件もまさにこれで、ボーは母親の喪中ですが、何十年ぶりに会った好きな人、グレイスと初めてのセックスをします。しかしボーが果ててしまった瞬間にグレイスは固まってしまいます。これは母親の死より自分の快楽を優先してしまったボーへの天罰だと考えられます。つまり、「私はボーに1番愛を与えたのに、ボーは私に1番に応えてくれない、これは許されない」ということです。親の愛は無償の愛でなければならないのに。ボーがああ育ってしまうのも無理ありません。

さらにひどいことに、ボーが独り立ちしてからも

ボーの母親はずっとカウンセラー経由でボーを監視し続けていましたが、自分の死を偽装してからもボーが何をするのか全て監視していたようでした。

 

ところで、ここで疑問。母親は何故死を偽装したのでしょうか。

考えたのですが、これはおそらく、嘘をついてまで(寝坊して鍵を盗まれたこと)帰りたくなさそうな息子が、自分が死んだと聞いたと聞いたら、ボーは自分のために帰ってきてくれると思ったからでしょうね。

どこまで傲慢な母親なのでしょうか。愛に対価を求める毒親という部分の一部なのでしょう。信憑性を持たせるために本当に人を殺すなんて。

冒頭でカウンセラーが言っていた、「母親を殺したいと思ったことはあるか?」という言葉はここの伏線だったんですね。

しかし自分の死にすら(本能的に)応えなかったボー。母親は何を思ったのでしょうか。でもあの態度を見るに自分の行いを後悔したわけでは無さそうですね。無自覚の怖さ。

 

そしてラスト、母親が諸悪の根源であることに気づいたボーは母親の首を絞めてしまいます。自分のしてしまったことが怖くなったボーはボートを漕いで逃げるのですが、いつの間にか裁判のような空間へと迷い込みます。

そこでは、首を絞めたはずの母親、その弁護人らしき人、数えきれないほどの傍観者がいて、ボーを審判にかけます。

モニターにはボーが人生において母親を傷つけた出来事がフラッシュバックされています。

そして判決。ボーは爆発してしまいました。。これで映画は終了。

 

このシーンとてつもなく不快でした。母親の愛に応えないようなことは許されない、自分の犯した罪は一生消えない、嫌な出来事は死んでも忘れない、そんなことを暗示してるようでした。

そして傍観者たち。メディア、SNSを彷彿とさせます。事の顛末だけを見届けたい人々がうじゃうじゃいる現代社会を揶揄しているように思えます。

そして爆発エンド。天罰は下るのです。自分の犯した罪は誰かに見られていていつか報いを受けるのです。しかも審判を下すのは神ではありません。平等な目を持たない人間でした。本当に現代社会のSNSみたい。

はあ。アリアスターには考えたくないことを考えさせられます。

 

さて毒親については一旦終わって次に父親について。

「ボーはおそれている」最大の謎はボーの父親の存在です。

ボーは父親について、ボーを授かった時のセックス中に死んだと聞かされています。しかし母親に父親のことを聞くと叱責され屋根裏に閉じ込められてしまうことから、怪しい気持ちを抱きながらも、恐怖からボーは父親について考えないようにしていたようです。

しかし、孤児の村の演劇のシーン。

ボーは演劇を見ることになります。(視聴者と演者の境をなくしたいという理由で衣装を着させられますが、これは「お前たち他人事じゃないよ」ってこと??こわ!)

この演劇の内容ですが、ある村で家庭を持った男。しかし洪水で妻と息子たちと生き別れ、見知らぬ土地は流れつく。男は息子たちを探して何十年も彷徨いますが、結局見つからず死期が近づいたとき、自分がかつて住んでいた村へたどり着き、そこに孤児として育った息子たちと奇跡の再開を果たす。。という内容です。(深い内容だったのですが、あまり覚えていませんごめんなさい。。)

ボーは妄想癖から劇に入り込んでしまいますね。そして童貞なのに自分に息子が3人いるような感覚に陥ってしまいます。ここで父親について強く意識したのでしょう。

そしてふと我に帰るととなりにおじいさんがやってきます。このお爺さんは「居候パート」や「孤児の村パート」の冒頭など度々目に入っていたおじいさんです。

そのおじいさんはなんと、「君の父親は生きている、母親に命令されて世話をしていたことがある」というのでした。

ボーはそのおじいさんこそが自分の父親だと確信しますが、みなさんご存知の通りおじいさんは爆死します。

 

帰省後、母親に真実を教えてあげると言われて屋根裏に閉じ込められたボーは、そこで、確か演劇で入り込んでいた役の男(ポスターの髭のおじいさん)と、文字通りちんこの魔人を見ます。

このシーンは何か深い意味があるはずです。ないと困ります。考えますね。

ちんこの魔人について、心象として、かなりフェミニズムを感じました。男性を性的な悪者として描写しているような、そんな感覚です。実際1人殺しましたからね。

そしておじいさん。これは演劇の内容を踏まえる必要がありそうです。

さらに子供時代屋根裏に閉じ込められる悪夢を見たと言ったボーを、母親が閉じ込める時に発した言葉、「それは夢じゃなくて記憶よ」

これらを踏まえると、屋根裏は記憶の象徴なのではないのでしょうか。

おじいさんは、ボーが家族を求める気持ちの象徴なのかもしれません。生き別れた父親、理想の母親を求める気持ちを過去に忘れてきてしまったんですかね。可哀想に。

そしてちんこの魔人。母親はちんこ魔人を見て屋根裏から逃げてきたボーに、「あれがあなたの父親だ」と言います。このセリフと、男性を性的な悪者としているような魔人の描写、さらに母親の完璧主義な性格、ここから察するに母親は、父親にヤリ捨てされたとか、妊娠を伝えたら逃げられたとか、そんな過去を持つのではないでしょうか。その過去をボーに悟られないよう死んだことにして、負の記憶として閉じ込めた結果があの魔人だと考えるとなんか筋が通りそうです。

 

 

以上です。。

なんか難しかった映画でした。一生懸命考えましたが、映画を思い出しながら書いた1個人の考えなのでちょっと違くねと思っても許してくださいね。。。

 

 

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